画像 切り抜き問題の課題
労働組合は参加組合員の団結を保つため、労働者の処遇を平等にすることを求めた。
特に個々の労働者の働きぶりに関係のない平等主義に固執していた。
しかしわが国でも労働組合への参加率は二○%前後にまで低下しており、発言力の低下は否定しえない。
しかも、労働組合も質の変革をせまられており、働きぶりに応じた処遇が平等主義であると認めつつある。
とはいえ、労働組合のすべてがこれを認めているわけではなく、まだ一部の労働組合だけである。
最も重要な効果は、賃金決定において属人給(性・年齢・勤続年数・学歴)のウェイトが下がり、職務給(どのような仕事をしているか)と職能給(どのような働きぶりか)の役割が増加することである。
職務給や職能給は特に能力・業績主義の象徴でもある。
こうして、年功による賃金格差に代わって、能力・業績による賃金格差が総賃金格差に与える影響力が強くなるのである。
このことは必ずしも労働者の総賃金格差の量自体を拡大するとは限らない。
今までは年功序列によって若年と中高年の賃金格差が大きかったのであるが、これからはそれにかわって能力・業績の高い人と低い人との賃金格差が大きくなっていくのである。
総賃金格差を決める変数の内容に変化があるといってよい。
変数の内容変化が労働者間の総賃金格差自体を高める可能性も当然ありうる。
今後ますます能力・業績主義が浸透すれば、総賃金格差はもっと拡大するかもしれない。
しかし、私自身はこの現みはまだすぐに発生しないだろうと予想している。
その理由は日本経済が低成長時代に入った結果、企業の支払い能力が低下したことにある。
日本経済や企業業績が好転して再び平均賃金を上昇させうるなら、総賃金格差を拡大することも可能であるが、今後の日本経済に平均賃金の上昇拡大は期待できない。
賃金統計はわずかな賃金分配の不平等化を示しているにすぎないことからもそのことがうかがえる。
しかし平均賃金の上昇なしに、能力・業績主義の強化によって総賃金格差だけが拡大するかもしれない。
能力・業績主義の徹底が、企業の生産性を上昇させるのに有効であると企業が判断した時に、そのシナリオが浮上してくる可能性もある。
法の下での人間の平等は、憲法でも保障された人間の権利である。
しかし現実には、すべての人間や人間活動に平等が保障されているわけではない。
社会的・民族的差別の問題は大きい。
ここではこうした基本的人権にかかわる問題ではなく、職業、教育や所得に関する平等・不平等問題を論じる。
例えば親の階層(職業や所得)の不利さが子供の学歴達成に支障となることを考えてみよう。
親の所得が高くないために、子供が大学進学をあきらめたケースはどうだろうか。
奨学金制度が充実しておれば、本人の能力と努力がある限り、大学進学の道は開かれている。
わが国の奨学金制度がさほど充実していないことは、アメリカとの比較で明らかである。
わが国には機会の不平等は残っているといえる。
逆に、アメリカでは機会の平等への執着は強いといえる。
もっともわが国においても、国民の所得水準が向上したことによって、親の経済力が原因となって進学できないというケースは以前より減少しており、この問題の不平等性は低下している。
もう一つ例をあげてみよう。
企業が新卒者を採用する時に指定校制度というものがある。
特定大学の学生のみに受験・面接の機会が与えられ、他の大学生にはその機会がない制度である。
企業がこの制度を採用する理由は次の通りである。
第一に、入学試験のむずかしい大学や、良い教育をしている大学の学生は、知的活動や生産性の上で優秀な学生が得をするという傾向にある。
第ニに、それらの大学の卒業生が、企業で良い成果を上げていることをその企業が知っている。
第三に、応募してくるすべての学生を無制限に選考すればコストがかかる。
これらを要約すれば、城企業にとっては合理的かつ選択のリスクが小さい制度なのである。
稗ただし、ここで指定校制度の合理性を指摘することによって、「受験戦争」を肯定する気は不ない。
後述するように、過酷な「受験戦争」には負の側面が多いので、戦争をなくする必要性は一口向い。
ところで、特定大学以外の学生にとっては、就職試験の機会が最初から排除されているので、機会の不平等と映るかもしれない。
確かにその側面があることは否定しえないが、よく考えるとその人達にも特定の大学の受験の機会が高校生の時にあったわけで、機会の平等が完全に排除されていたとはいえない。
実際にその大学を受験したかどうかは問題ではない。
しかし高校生にまで企業に指定校制度があることを知っている、と期待するのは酷である。
機会の平等をこのように考えてみると、意外に複雑な原理なのである。
機会均等の原理を実施することはそう容易ではないが、理想として常に念頭におかれるべき原理である。
すべての意欲のある人には、参加と競争の機会が与えられることが望ましい。
教育の機会、仕事の機会、就職の機会、昇進の機会、人生上の様々な活動において多くの人に平等な機会が与えられた末に、参加者が競い合うこととなる。
競争の結果勝者と敗者が出ることは仕方のないことだし、勝者にも順位づけが行われることもやむをえない。
教育と階層(職業)に関する機会の平等を歴史的に評価してみよう。
身分社会であったし、閉鎖社会という意味で、機会の平等すらない不平等社会であったといえる。
親の職業が子供の職業を決めた社会であった。
さらに、すべての人に高等教育の機会が与えられている時代ではなかった。
高い教育を受けるためには、本人の能力と意欲に加えて、親の経済力が必要であった。
むしろ親の経済状態が決定的に重要だったとの指摘が多いほどである。
戦後の諸改革の後、機会の平等が相当程度達成されたが、その後不平等が徐々に頭をもたげ始めたといってよい。
その根拠は既に述べたように、親の職業が子の職業を決定する程度が再び勢いを増してきているし、高等教育の学費や受験戦争を勝ち抜くための費用(塾や家庭教師の費用)が高くなったので、親の経済力が決め手となりつつあるからである。
これは機会の平等を阻害しているといえる。
機会の平等の次に大切な概念は、分配を決定するに際して、「貢献」、「必要」そして「努力」に応じた平等基準を考えることである。
「貢献」は既に述べた「貢献度の高い人」には高い賃金を支払ってよい、とする考え方に相当するものである。
各人の提供するサービスに比例して、社会が得た便益(例えば会社の売上高や利潤)から代価(すなわち賃金)が支払われることが、平等ないし公平とみなされるのである。
「必要」はその人が生活をするためにどれほどの資金が必要かを算定してから、分配を決める考え方である。
単身の人と家族人数の多い人との間で、生活費の必要度が異なることは容易に理解できる。
扶養家族手当や税制における配偶者控除は、この必要概念にそった制度の例である。
等価所得という概念を説明したが、それは「必要」という平等基準に注目して、家計所得を必要度に応じて修正することを目的にしたものである。
「努力」はその人が生産活動においてどの程度の努力をしたかを分配基準の一つにせよ、という論理である。
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